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3.11大川小学校の悲劇
大川小学校に行ってきました。今日で5回目です。時々訪問して慰霊をしてきます。この悲劇を絶対に忘れないように。
ここであの日74人の子どもが亡くなりました。未だ解明されない謎はたくさんあります。教員の避難誘導体制、防災計画、なぜ裏山に逃げられなかったのか、事後の学校長と教育委員会の不可解対応等。
それをここで長々と解説はしません。とにかく多くの人に伝えたいこと、それは・・・
学校現場において全校108名のうち74人もの児童が無念にも命を落としてしまった事実。そしてその数の何倍もの家族や親族がやりきれない悲痛な思いを持ち続けていること。
みんなで思いを寄せ続けましょう。そして教訓を明確にして、未来に生かしましょう。そうでなければ、亡くなった子どもたちが救われない。
↑津波の威力はすさまじい。
↑裏山に登ってみました。その気になれば低学年の子どもでもなんとか登れるのに。
ここに来る度思いを巡らします。冷たく真っ黒な濁流が来たとき、いったいどういう思いだったろうかと。どれだけ生きたかっただろうかと。どれだけお父さん、お母さんに会いたかっただろうかと。薄暗くなってもなお聞こえてたと言われる“助けて!”の声。。。こみ上げるものが止めどありません。
あれからもう7年が経とうとしています。はたして行政サイド、学校現場で教訓は活かせているのだろうか。自分自身も自問自答します。生かされた身として精一杯できることをやっているか、と。いま、とりあえず落ち着きをとり戻した場所でなんとなく生きていないか。
忘れてはいけないこと、
今日このほんの一日でさえ、子どもたちにとっては永遠に訪れない、生きたかった“明日”なんだと。
以上。